今日は、PRの仕事を好きになったきっかけについて、書きたいと思います。
私は、福岡の音楽業界で初めて広報・販促マネージャーという立場でPRの仕事に就くことになりました。それまでは英語を高校で教えていましたので、広告業界の事は全く分からない状況でしたが、応募多数の中からなぜか幸運にも合格し勤務することになったのです。
前の担当は結婚退職でやめてしまったばかりで、アシスタントが残っていましたが、私になってすぐに辞めてしまいました。
まさに右も左も・・・・という状況でした。
それからの1年近くはがむしゃらに働いていたと思います。
朝早くから夜遅くまで、家族と合う時間もない日がつづきました。
自分で勉強し、前担当が残した資料を見たり外部の人の話を聞いたりしていたと思いますが、周りは頼りなかっただろうと当時を思い返してもはずかしいばかりです。
一番、大変だったのは、リリースの作成でした。月に8名~10名程度のアーティストのライブを行っていましたので、2か月前までにはそのアーティストに関する情報をまとめてメディアに配信していました。
資料集めからリリースの作成まで、夜中まで一人でオフィスに残り作ったこともありました。手伝ってくれる人はいません。
忙しい中でも、メディアへは月に1回、必ず情報を持ってまわっていました。
仕事について1年半くらいがたった頃、ボサノバのアーティストのライブをPRすることになりました。
CDリリースも重なり、レコード会社も本人もPRには力をいれたいとの思いもあったときでした。
プロモーションプランもたて、TVCM流し全力を尽くしました。
「アーティスが誰であろうと売るのが仕事だ」と言われていましたから、とにかく満席にするのだと目標に向かって動いていました。
他のことは考えなかったと思います。
来る日も来る日もプロモーションにPRに動いていた記憶があります。本当に頑張っていたと思います。
周りも助けてくれていました。
そんな毎日の中、だんだん感じることがありました。
私の中でも他の時とは何かが違っていて、すべてがぴったり合って、歯車が回っているという感覚でしょうか。
その感覚はのちに、形になって証明されました。
それから、しばらくして感じたのはまさにPRのスパイラル。
何もしなくても話題が話題を呼び自然に拡がっていく。
そして、ある時期を境に、予約が殺到。
徐々にではなく、扉は一気に開いたという感じでした。
そして、公演の1週間前には、5日間の全公演が、オープン以来初の満員御礼となったのです。
あの時の流れは、私一人の力ではないと今でも思っています。
いろんなことが重なって起こった事実。
ですが、言えるのは、私が必死になってがんばらなければ、あの感覚は得る事ができなかったと思っています。
そしてPRを担うものとして言えるのは、一生懸命伝えていく事と周りの力を借りて成功につなげていく事、周りを巻き込んでいく力を持つことだということです。
あなたが売り出したいものや世の中に広めたいものが、いいものだと思うのであれば、広めたいサービスであれば、 信念を持って頑張ってください。
必ずいいスパイラルが起こるはずです。
そしてその経験が、その後を支えてくれます。
AmazingPR 代表取締役 吉田美穂